多様性について

この「もうひとつの性」について、これまで2度ほど文章として記したことがありました。

1度目は高校2年生の時。
倫理社会のテストで、ユングの外向性 (extraversion) と内向性 (introversion)に関する設問か何かに対する回答として記したと記憶しています。

2度目は社会人になった時。
入社時の作文で、人事の仕事を希望することの理由(?)と自己PRとして記しました。

いずれもテーマは多様性で、画一的な対応では人は活かせない、活かされないと。

入社(1987年)当時、既に女性の役員・管理職もいて、海外にも事業所があったことから国籍も多様でした。また、業界の経験を問わず、様々な業種・業態出身の方が中途入社してこられていました。
希望が叶って入社2年目から人事に携わり、まずはリクルーターからということで採用時の1次フィルターとして年間2-300名の学生と面接していたとき、30代前半の管理職から「気に入った人ばかり採用してはダメ(偏った基準で採用しないように)」との助言があり、その後は一層「多様性」というものを留意するようになりました。
人事制度を作る過程においても「多様な人材」が集まることを前提として諸々配慮したものです。

今から考えると、幼い時から父親が「この子は異性(自分とは違う性)だから、自分の価値観で縛ったりしない」という意識で放任してくれていたり、社会に出てからも「オーケストラのような自律したメンバー構成で新しいことに臨んでいく組織」といった多様性が認められる環境の中で過ごしてこれたことは、非常にありがたく、貴重であったと思っています。

多様性を認める・・・
「最も身近なパートナーは異性である」ことを認めることがその第一歩かと思います。

すぐ隣にいる人、同じチームに属している人、
それぞれの「もうひとつの性」を見ていくことで、まずは「世の中 半数の人は自分とは違う(全く嗜好が逆だ)」ということに気付いていただければと思います。

異性は、自己の足らない免疫を補ってくれるような存在です。

どちらが良いとか優れているとかではなく、人が生きるうえで欠かせないものだという認識が深まれば幸いです。